走りすぎた板橋後

板橋M後も走りまくってます、というか1ヵ月後に迫ったUTMFに向けて走らずにいられないまっさんです。今回はカモシカ山行をしてきました。

板橋シティマラソン後

板橋シティマラソンは予定通りに走れて自分的には満足したものの、自分にはメインレースがもう1カ月を切っているので休んでいる暇はない!
UTMF100mile
重く疲れた脚でも走らなくてはいけない100マイル、なので今週は頑張った。

インターバルトレーニング

板橋から帰ってダウンジョグマイコースで11km
次の日は150mインターバル×10本
ワールドペースで行う。大迫くんを意識するもついていけるのは100mだと悟るwww

自宅〜トレイル往復

自宅から横山の道まで走り15キロ地点で折り返した。足が重くいつものように走れない。狙い通りだ。しかし辛い。

カモシカ山行

仕事終わりからの奥多摩駅へゴー。予定では奥多摩駅から高尾山口駅まで夜間縦走する予定だったが、途中から足元がおぼつかなくなり、転ぶことも多くなったので単独行動と言うことも踏まえてDNF。
カモシカ山行(奥多摩駅~人里バス停)

カモシカ山行とは
カモシカ山行とは、夜間も眠らずに夜通し歩くこと。行動食、非常食、水、ヘッドライト、ビバーク装備などの必要最低限の装備で、ルートが分かりやすい低山で行う。

カモシカ山行の由来は、中村謙氏が表わした著書『山と高原の旅』(1958)で述べているが、夜間登山は昔から富士山登山で行われており、これを一般の山でも始めたのが、中村氏である。中村氏は加茂鹿之助(かもしかのすけ)というペンネームで戦前~戦後と『山と渓谷』誌に記事を寄せており、そのペンネームから命名したという。

正式名称は「加茂鹿之助式夜行日帰り山行」といい、これを省略して「かもしか山行」と呼ぶようになった。早く歩くスタイルではなく、時間もお金もないから数日かけて歩くところを、夜間も含めて1日で歩くスタイルを提唱したと、中村氏は言っている。現在は、万が一遭難した場合、夜間に行動せざるを得ない状況に備えて、一度夜間を歩くことを経験するという意味での訓練で行われることもある。

リカバリー必須

きちんと3日くらいかけてリカバリーして来週のUTMF試走、前半80kmにつなげたい。

↓”Sub3″情報満載、ここから始める”Sub3″↓
にほんブログ村 マラソンへ
↑”Sub3″したいなら押せ、押すのだ、ポチッとな!↑

コメント

タイトルとURLをコピーしました