【UTMF2019レースレポ】実は家族に支えられていたUTMF〜何よりの感謝を君に〜

昨日は帰ってきて片付けもしないで寝てしまったので、今日は朝から靴を洗ったり服を洗ったり洗濯をしたりと忙しく過ごしてました、UTMF、一晩寝て起きたら感じたのは筋肉痛ではなく悔しさだった、まっさんです。嫁さんも子供もGWのため、実家に帰省しているのでのんびり片付けができます。 寝る前に簡単にレースレポ書いとこ、と思ったらやたら長文に。今は感謝の気持ちでいっぱいです。

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UTMFへの備え

目標への準備


山を走り始めてからこのレースに出るのは1つの目標だったので、昨年レースに出られることが決まってから自分で考え得る全ての事はやってきました。
タイムテーブルも松竹梅と3パターン作製、リスク回避も自分の納得できる完璧な状態にしたし、各エイドでベスパプロを摂取しモルテンドリンクで補給するという超豪華なこともしました。

雪への備え

今回のレースの天気予報や天気図、過去の結果を見て、雪⛄️が降るかもしれないと言う事は十分にわかっていたので雪に対しても完璧な支度もしていました。周りの人にも、とにかくあったかくしたほうがいい、ホッカイロを持った方がよい、服を増やしたほう、デポにダウン1つ、着替え一式入れて当日持たなくてもいいんだから!と伝えてました。

しかし大抵の人は雪山未経験のトレイルランナー、雪への備えなんてわかりません。でも大会ルールにはちゃんと書いてありました。大会に参加する以上競技規則は穴のあくほど読みました。穴のあくほど読んだ人は参加者の半分いるのでしょうか??

道が泥んこだ、関門を伸ばせ。雪が降ったから危ない、どうなってんだこのレースは。なんて言っている人も見かけましたがルールも読んでない、あなたの頭の中はどうなってんだと思いました。


UTMF公式ページ動画よりキャプチャ
雪山なんて呼べるほどの雪でもないし、2週間前にはかなりの降雪もありました。毎年河口湖ではGWが明けるまでは積雪があります。きっと多くの人が見る富士山だって頭が白くなっています。その白い部分の一番下あたりの高さの山もいくつも上り下りする。全ての選手はそれを知る状況にありました。
だから私は絶対に完走するために完璧な準備をしました。しかしサポートがいなければこの準備をしてレースを制限時間の中で走るのはわたしには難しいと思いました。3kgくらい装備が重くなります。私はサポートにこの準備を預け、ポカポカの勝山のエイドで受け取りました。本当に持っていくのか?と聞かれたけど間違いなく寒くなるからもう持って行く、と答えました。

雪装備のテーマは「雪が降っても最低限杓子山を越えられる準備」雪山登山の準備ではありません。ゴムの軽アイゼン、ポラテックのハイカットシューズ、バラクラバや雪用のアンダーウェアー、ファイントラックの化繊のダウン、雪用のスノボ手袋、ビバーク用のエマージェンシー寝袋とファイントラックのツェルト、自作保温用靴カバー、ホットワセリン、激熱カイロ、バーナーなどなど。ここまでやった奴はあまりいないと思うのでバカとも言えますw(忍野エイドをバラクラバを被ってアイゼン手に持って腹巻き+ホッカイロで元気に歩きはじめた私を係りの人は通してくれましたw)

レースプラン

雨や雪は好都合

雨や雪で泥仕合になっても自分に運が向いて来る、足が遅く、ゆっくりスタートの自分はレースでボリュームゾーンで渋滞に巻き込まれることも多いのです。しかし雨や雪への備えが足りない選手はリタイアを申告するだろうから進みやすくなり好都合。と思ったほどで、土砂降りの深夜2時に38時間でゴールするイメージまで出来ていました。応援ナビのタイムを見てもぴったりでした。
そして少し前後したものの、予想通り100kmからペースアップしました。雨の中走っていても完璧な防寒によりちっとも辛くなかったです。正月にマイナス12℃の中、勝山〜ゴールまで70km試走した時の方がよっぽど過酷でした、あんときゃ1人だったし。

超寒かったけど最高の景色でした!

レースプラン


余裕のツイート
昨日のレースプラン的には100kmまではとにかく力を使わないで進む。100kmからはギアチェンジしてぶっ飛ばして行く、そんなところで激しい降雪によりレースが終了してしまいました。

UTMF事務局を賞賛したい!中止の決断。

ルールに書いてあるのに!

全てのランナーにサポートがいたわけではないし、あらゆるリスクに備える登山ではないわけですから、途中中止の判断も素晴らしいものだったと感じています。

山岳地で予測されるトラブルや天候の悪化など(低温、強風、雨や雪)に、他に頼ることなく自ら対処できること。

大会規則の参加条件にガッツリ書いてある。
選手はこれを読んでエントリーして誓約書にサインまでした。なのに文句を言っている人がいて最高峰のレースなのにとびっくり&ガッカリでした。

中止しろとか関門を変更しろとか

そんなことを言っていた選手もたくさんいてびっくりでした。だってここは山。何があってもおかしくない。

関門が泥んこ道で渋滞したから間に合わない、だと?

じゃあ、最初の林道で突っ込んで前がかりにレース展開すれば良かった。
もちろんその展開を読んでいた人もたくさんいたから序盤はやたらハイペース、林道を5’00/kmペースでかっ飛ばし普段やらないレース展開で心拍数が上がってしまい序盤辛かった。

中止しろだと?リタイアさせてください、の間違いじゃないのか?

雪が降るのを見込んで序盤からハイペース展開でゴールした選手もたくさんいる。
雪の杓子を超えて富士吉田のエイドで休息を取っていた人はゴール間近で中止となり悔しかっただろう。
自分みたいに遅いランナーでも雪の中ゴールする姿を想像して大きなリュックを持って走った人もいるかもしれない。
あなたが声高に叫ぶのは「中止しろ、」ではなく「参加要項を満たせなかったのでリタイアさせてください」だ。

大会本部は全員を完走させてあげたいと心から思っている、完走率100パーセントを目指してレース運営をしているのだ。

だけど大会本部はそんなこと言えない

本当は言いたいだろうけど言えないから、訳わかんないこと言ってる人がいたらこれを読んでもらえたらな、とも思う。
実際主催者の鏑木さんもパタゴニアでこれ以上の過酷な100マイルレースを走っている。そしてそのレースをあらゆる条件を想定し走りきった。低体温で命を失った選手もいる。

「ULTRA FIORD=ウルトラ・フィヨルド
若手を抑えての優勝者は51歳、次点は当時47歳の鏑木さんだ。
低体温で命を落としたのは57歳のランナーだった。

レースディレクターの鏑木さんがありとあらゆる経験をしている。もちろん最悪も想定している?だからこのレースはルールも参加も厳しい。

そして充実しすぎた大会からのサポートもある。
エイドで待っていれば、ちゃんとバスが来てそれに乗ってみんな帰れた。スタッフはずぶ濡れでも選手をエイドに誘導してくれた。
バスがどんどん来てゼッケンを読み上げ、多少の混乱はあったものの仲間はみんな帰れたとのことだった。もちろん仲間の無事も確認した。(ただ自分の無事は確認できてなかったという、、、後述。)

朝起きたら元気

筋肉痛もなく悔しさだけが湧いてきた

朝起きたら身体には何の異変もなく元気でした、27時間120km近く走ったのに。片付けをしながら食べるはずだった補給や使わなかった雪用の着替えを見て「やって来たことが出しきれなかった。」と、悔しい気持ちでいっぱいになった。

たくさんの応援

たくさんの人が応援してくれた。仕事の仲間やランの仲間、知らない人や、コースの近所の人、ボランティアスタッフ。練習を通じて友達が増えたり、挑戦する事で40歳になっても世界が広がりました。

100マイルの練習は家族にも負担をかける

嫁さんや子どもにも朝早くや夜子どもを寝かせるまでの忙しい時間に練習に出かけて迷惑をかけました。そうしないと長い距離走る練習ができないし。

練習するために深夜走ったりもした。
家族に迷惑かけない!と言っていたものの夜のカモシカ山行(奥多摩駅→高尾山:22時発)や休み前の深夜ラン(子供と嫁ちゃん寝てから長距離練)の際は心配はさせただろう。

子どもに「パパ、さっきマラソンに行ったのにまたマラソンに行くの?」と言われた時は流石にまずい!と思った。

そうだ走り行こう!

豪華補給ジョグ


そうだ、今日は1人だし元気なんだから残り50km多摩川丸子橋まで走ってくるか!とベスパ投与しモルテンドリンク作って出かけました。

昨日もらえたTシャツと買ったUTMFキャップ!
多摩川では大勢の親子連れがBBQ!これしたかったなぁ。

多摩川ではウルトラマラソン開催中!


多摩川ネイチャーマラソンという大会みたいです。
ランナーさんは折り返しのラスト20kmくらい、ウルトラの激キツイところです。
昨日知らない人から応援してもらったので、抜くたびにナイスラーン!!頑張れー!と声を掛けますが不審者です。

体に異変が


登戸付近のトイレで変な色のオシッコ出ました。
なので、慌てて走って帰ってきました。

26kmでした。50kmはとりやめ。
オシッコの色は茶色の濃いのでした、聞いてないよという人すみません。
自分、練習の成果は出し切ってましたw
単なる限界来てましたwww
そのあとメロンソーダ飲んだらオシッコの色は戻りました。メロンソーダは普段飲まないけど自販で本能のまま買いました、んまかった!

問題のトイレ(正確に言うとトイレに問題があったわけではない。)

走りに行ってる時本部から神対応

入電状況

走っている最中に、知らない電話番号からの着信です、なので出なかったら何度も何度もかかって来ます、30分の間に6回もかかって来たので仕方なく走りながら出ると
焦った感じで
「まままままま、まっさんの携帯ですか?!!」
と。
なので、ぶっきらぼうに、
「(ハーハー)はい。(ハーハー)」と。
するともっと焦った感じで、
「ははははは走ってるんでしょうか?」と。
なので、さらに機械的にかつ、お前誰だ的な感じで
「(ハーハー)はい。(ハーハー)」と。
すると何が起こったんだというくらい焦った感じで、
「(でかい声でまわりの誰かに「はしってるってぇーーー!」って。)たたた大会は終了したんですよ、ここここちらはUTMF大会本部です。」と。

説明しよう!

つまりこうだ、自分はA6忍野(114km)のエイドを出た後で止められてエイドに戻った。
大会中止を告げられ、混乱の中、迎えに来たサポートの車に乗って会場を後にしてしまった。
つまりエイドからの再スタートの記録が残ってしまい、「雪山に向かった人まっさん」みたいになってしまった。
もちろん帰る時、係の人にゼッケンを見せて大会の用意したバスに乗らずに帰ることは伝えた。
混乱の中、うまく本部まで伝わらなかったようだ。そんな人はたくさんいたようで大会本部は夜を徹して全員に電話確認を取っていたみたいだ。自分は22時以降着信しても連絡帳に入っている電話以外の着信は表示されない設定にしている。携帯を見たら深夜も何回も着信していた。
おそらく「雪山に向かい倒れているかもしれないランナーまっさん」くらいになっていたのかもしれない(推測)
係の人がやっと繋がった!と思ったら「走ってます。」じゃ、「まだ戦っていた人まっさん」みたいになってしまい、心臓が飛び出るくらいびっくりさせてしまったと推測される。

ウィキペディアより
潜伏はしてない。とは思っていたと推察される。

昨日の雪のように溶けた誤解

なので「昨日早々に帰宅して、元気なので疲労抜きのジョグをしています。運営の方も大変だったのに心配かけて本当に申し訳ありませんでした。」と伝えた。

これにより「さっさと帰り120km近く走ったのにまた今日も走っている変な人まっさん」に昇格(推測)。
大会本部の人、超安心してた❤️
申し訳無かったが、改めて素晴らしい大会だと思った。

家に泥棒か!?

私は走りに行く時に家の鍵を閉めない。
走り終わって家に帰ると驚愕した。
泥棒がはいったのか!!!!と。

ちがう、たった1日で自分が散らかしたんだw
UTMFの片付け途中で思い立って走りに行ったからな。仕方ない。
いつも(ここまでは酷くないけど)散らかしてばかりの自分が不甲斐ないばかりに嫁ちゃんが片付けてくれてるんだと思った。

何よりの感謝を君に

こんな亭主で申し訳ないな、、、。と思いつつ、走っている最中見れなかった「応援ナビ」を見ると、いつも走ることに協力的ではないと思っていた嫁ちゃんからメッセージが届いていた。応援ナビとゼッケン番号教えたけどどうせ見ないだろうな、と思っていた。もちろん、応援ナビで応援されたこともなかった。

受信時間が、1日目の22時頃だった。麓のエイドを出て3時間、竜ヶ岳の下りで寒さと睡魔と戦いながらズルズルの泥道を前進していた頃だ。

↑ズルズルの山道↑キャプ画。
動画でお伝えしたいがやり方がわからん。
しかし常にトレイルはこんな感じだった。
これから大会ボランティアの方々が登山道の修復作業をすると思う、そこまで器材を持って登るのは本当に大変なのだ。やってる人しかわからないと思う。

なんでこの時間なのかな、こんな時間に送っても携帯なんて見ないからわかんないのにな、そんなこともわかんないよな、走る人じゃないからな、山はくだりしか行きたくないとか言うしな、心配させちゃったかな、レースだから安全なのにな、こんなの送るのいつも応援してくれないのに恥ずかしかったからためらったのかな、なんて思いながらも、昔、山の救助の現場での疲労凍死や何日も経ってなんで捜索が継続されるのか、って聞かれた時に「つらいのは眠いことだよ、お腹が減るより、寒いより寝たら死ぬ、とわかってても我慢できない眠気でみんな動けなくなって亡くなるんだ、その時きっと家族のことを思うんだよ、俺ならあったかいうちにいて美味しい食卓を囲んでる姿を思うかな。だから警察も消防も民間の人も生存が絶望されててもその人とその人の家族を思って見つけてあげたいんだと思うよ。」って話をした。
1日目の22時じゃ、走り始めて10時間を超えて、1番つらくて眠かった時間だなと思ったら、今まで走りに協力的じゃない、理解がない嫁ちゃんはどうしたものか、なんて思っていた自分が恥ずかしくなった。本当は連休休みだから実家帰省より多摩川BBQみたいのやりたかったのかな、仕事でも心配かけてしまって、仕事以外でも心配かけさせてしまってるなぁ、走るとまた山に行くんじゃないかと心配してたから走るのが嫌なのかな、きっと、やり方もわからない中、応援ナビで調べて投稿してくれたんだな、実は自分だけでやってたと思っていた4年間ずっと支えられてたんだな、なんて思ったら、あっという間に画面が曇って見えなくなった。拭いても拭いても見えなかった。

こうして、4年間目指してきた大会が終わった。

運営の方々やボランティアの方々には感謝しかない。練習してきたことでできた仲間や仕事仲間もたくさんメッセージやLINE、FBやTwitterで応援してくれた。一緒に走った知らない人とも励ましあった。サポートしてくれた後輩にも感謝。昨日120km近く走って今日も走れる身体に産んでくれた親にも感謝だ。

何よりの感謝は、最愛の嫁ちゃんと最愛の娘に。

コメント

  1. oooka-ryo より:

    本当にお疲れ様でした。
    家族の支えありがたいですね☺️
    私も感動しちゃいました。
    翌日に走り出せる体力にびっくりなのと、
    本部の方に誤解されるのは笑っちゃいました。
    しっかりと体癒して家族サービスしちゃってください!

  2. kazz-matsumura より:

    Ryo さん コメントありがとうございます。きちんと応援してくれたことに感謝も伝えることができて、頑張ってたのに残念だったね、なんて言ってもらえました!ちょっとだけ走る自分と走りに行くことが嫌いな嫁さんの距離が縮まった気がしました、しばらくは家族サービスに徹しようかと思います!

  3. oryokobo より:

    笑って笑って最後で泣かされまさした。
    UTMFには人それぞれドラマがありますね。
    読者にさせて下さい。

  4. kazz-matsumura より:

    おりょさん、笑って笑って最後に泣いた、私のUTMFはこんな感じで終わりました。おりょさんも同じ忍野にいらっしゃったんですね、おつかれ様でした、いつか完走したいですね!今後ともよろしくお願いします!

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