夏の疲れと、BURNOUT

雑記
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MA-SAN
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burnout、とか言っても何なのさ、アメリカ語使うなや!という声が、、、。

つまり「燃え尽き症候群」とか呼ばれるやつですね、夏の疲れとそれに付随する、あんなことこんなこと、、、。そんな感じ、そこから少しづつ復活して来たぜ、的な、

◆ 孤独を楽し、、、む?

家族が岩手に引っ越して、もう1年半。
少しずつ慣れてきたとは言え、夜、家に帰ってひとりでいる時間は——自由!そして、ひたすらな孤独に耐える時間になっております。

月に一度、4日くらい。長いときは1週間ほど岩手に、その時間は、今の自分にとっての“ご褒美”な感じなわけです。

◆ 今年取り組んだこと

今年は実にいろんな事があった。
自分の中にあった想いを、ようやく行動に移せた。

ずっと家のこと(保育園の送迎とか家事とか)で時間的な制限があって動けなかったボランティア捜索。去年からは、少しずつ動けるようになっていて、昨年から気になっていた行方不明の方々を、冬が明けて、雪が溶けてからもう一度洗いざらい探していた。

結果として、昨年からの行方不明者5名は、すべて発見された。

もちろん、自分が見つけたわけではない人もいるけど、同じような行動をしている人もいてありがたいと思った次第。

◆ あの長すぎた捜索も

みなさんにも大変お世話になった捜索は、自分にとって過去いちばん長い捜索だった。
途中からは、正直、自分でも何を信じて動いているのかわからなくなっていたくらい。

何とかしようと立ち上げたネットでは、日々、かなりひどい誹謗中傷を受けた。それに毎日丁寧に回答した。
もはや名前も忘れたが、見ず知らずの人とネットで揉めた?挙句、その方は職場にまで10回以上に渡りしつこく電話をかけてきた。
その対応に追われ、職場や同僚に多大なる迷惑をかけた。弁護士も個人で雇わざるを得なくなりだいぶ無駄な出費もあった。

まぁ、自分なりの考えもあり、結果的に責任を取る形で、退職を3か月早めることになった。

そして8月、ついに「その日」が訪れた。
けれど、結果的にその後の捜査の進展はなく、進捗状況も含め、いまだにご家族からも連絡はない。

ご家族との関係も、トラブルというほどではないけれど、考え方の違いから連絡を取らなくなった。

糸が切れた。
いや、もともと切れていた感じもするけど。
自分は、他の人もみんなみつかった事から、自分がやるべきことを見失ってしまっていた。

◆ あふれるタスク…

退職も早まり、生活の基盤を整える準備を急がなくてはいけなかった。
そこで、自分の悪い(自分では持ち味だと思ってるけど)性格が出た。

あれもやりたい、これも面白そうだ。
そんなもともとの“ADHD気質”が、もろに顔を出した。

今は、個人事業の準備と営業、町との土地の契約、会社設立の間を行ったり来たりしている。
その合間にこの前は雑誌の取材コーディネート、NPOで参加している大会運営の手伝い、なんでもやってみている。なにより現職での業務も残っている。

忙しさの中で、充実していると感じつつも、心の芯がぐらぐらしているのも感じていた。

そんな時はわさび田を耕している。

◆ 役目が終わっていく感覚

10月からは代わりに新しい人が来た。

もう山に行くこともない。
もう制服を着ることもない。

今はひたすら机の前に座っている。
あと三か月。ただ座っているだけの時間。

自分にはいくつも得意なことがあったと思う。
それを誰かが引き継いでいく。
代わりは、ちゃんといる。

スティーブ・ジョブズですらいなくなっても、iPhoneは作られ続けているし、自分にだって代わりがいるのは当然のこと。

不思議と、驚きも、悔しさもない。きっと全てをやり遂げたから、タスクが残っていないから、そんな気もする。

ドラクエで魔王を倒してしまった後、あんなにレベル上げに夢中になっていたのに、その瞬間からもう面白みが無い、そんな感じ。

傍には次のゲームが置かれていて、まだスイッチを入れず、準備だけしている。そんな状況をただ、静かに受け入れるしかない、机の前でそんな静かな時の流れを感じている。

◆ 年収ゼロへ

12月までは、給料が出る。
けれど、年が明けた1月からは、何もしなければ何も入らない。

自分は年収1,000万円をもらっている。
世間平均で言えば多い方だろう。
それが来年には、ゼロになる。

数字で言えば絶望的なことだけど、それ以上にゼロスタートはワクワクする。

ここからは、自分の人生を自分の責任で生きるための挑戦になる。

これからは誰かの指示で動くのではなく、
自分の意志で、自分の時間を作っていく。

不安なんかはないとは言えないけど、
それ以上に自由だ。これは圧倒的だ。

時間の自由、人間関係の自由、選択の自由、いきなりたくさんの自由が与えられる。

そして引き換えに一度は手放す、経済的な自由を手に入れる、そんなゲーム。

◆ 走れない、みたいな事

正直、走ることが本当に億劫になった。
気持ちを奮い立たせて走り出しても、考え事が多すぎて、足が止まる。

燃え尽き症候群というのは、本当に怖い。
走ることはもちろん、家の片づけも、体調管理も、やった方がいい事、みたいなものが雑になっていく。
酒の量も増えたし、仕事がらみと言い訳のつく会食も多くなった。

やらなければならない事、の方まで侵食して来てしまったら大変だ。

鏡に映る自分が、ちょっとずつ“現場の自分”じゃなくなってきた。腹も出て、階段を上がるだけで息が切れる、情けない感じだ。

◆ また少しずつ

最近ようやく、少しだけ走れるようになってきた。10月は160kmも走ったし、3000mも登った。3年前の3分の1以下だけど。

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また走ればいいし、
また書けばいいわけで。

ブログも閉鎖しろとかの騒動から書いてなかったけど、また再開する事にした。
誰かのためというより、自分のためだな。

夏の疲れはまだ芯に残っている感じ。
秋の風はいきなり冬の空気を運んできた。

まぁ、焦らず、無理せず、気の合う仲間たちと、またのんびり走り出そうと思う。

それが、今の自分にできる一番まじめな「走り方」かな、とか思うわけです。

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