
自分の原点は?
書く事は、このブログが原点です。
ここの読者の方、
仲間たちから非常に多くの支援を今回いただいています。
気持ちの上でまた勝手に支えてもらっていることに心から感謝しています。。。
◆ ブログで知り合った仲間たちに
このブログを通じて知り合った仲間、山で出会った仲間たちに、改めて感謝を伝えたいと思って、この記事を書いています。
◆ 自分の立ち位置とか
自分は今、公務員として働いている。
今は山岳救助隊に所属している。
そんなのはここに来てくれる人、
これを読んでくれる人は知っていることだ。
だけど、今年度をもって
この仕事を辞めると決めた。
夢が叶ったとかいろいろ書いたけど、
本音はもっとシンプルだ。
もう、山に入るのが怖くなった。
自分には愛すべき小さな娘たちがいる。
可愛いっ❤️
可愛すぎるのよ❤️
あー可愛っ、、、親バカ❤️SMSN!!
極限の現場に立つたび、
ふと「もしこのまま帰れなかったら」
と思うようになった。
体力も落ちた。目も悪くなった。
判断も鈍るようになってくるだろう。
そのうち昔は、こうだったんだと、
過去の栄光を語りだすだろう。
その時思うんだよ。歳をとったんだって。
その時に何かやろうとしたってきっと遅いんだよね。
だから、今、
自分の新しい生き方を模索することにした。
◆ これからの生き方とか
自分は、消防の仕事に就いて
たくさんの夢を叶えてきた。
救急救命士の資格を取り、
オレンジの制服を着て、
ハイパーレスキューに所属して
大きな車を操り、
御嶽山や東日本大震災、
伊豆大島の災害現場にも行った。
PTSDのケアを学び、
災害心理学にも取り組んだ。
「山で働く」「山を助ける」
そんな夢も、現実にした。
やれることはやった。
もう十分だと思えるほどに。
でも、人生はまだ終わんないなー、と。
次は「自由を手に入れる」という夢を叶えたい。
朝起きる時間も、
誰と何をするかも、自分で選ぶ。
これから運動会だって、
お遊戯会だって絶対に仕事を休める。
そんな生き方をしてみたいと思った。
◆ 書き続けることで見えてきたこと
この数日、自分は「書くこと」に集中してきた。
noteでも、
ブログでも、
何かを残すことに意味があると思ったからだ。
けれど、思いを伝えるって簡単じゃない。
マスコミへの対応もあったし、
誤解もたくさん生まれた。
「やり方が悪い」「支援の仕方が間違ってる」
SNSにはいろんな意見が飛び交っている。
「僕が全て変わってあげたい」
これが一番応えたかなぁ、、、。
変わってくれよー、
そしたら俺は山に入れるのにーって、思った。
削除されたみたいだけど、
大学生だから支援していると言う事について、
おっぱいのでかい女子大生だろ。なんて書いてる人もいた。
うーん、なんかそれもいいね、
とか、一周回って実際思ったwww
こういうことを書く人たちって。
もし自分の奥さんや自分の子供とか
苦しんでてもやり方が悪いとか、
俺がやってやるよとか、
情報の出し方がいまいちすぎるとか、
コバカにしてくるのかなぁ?とか純粋に思った。
困っているのは実際は一生懸命に、
2人で暮らしていたお母さんの事を
探している大学生の息子さんである。

息子さんが自分との出会いを書いてくれた。
◆ 炎上第一♡主義?
そんな状況なのに、
なんでこんなに人のことを悪く書けるんだろう。
自分の立場もあるだろうに
なんでそんな情報発信できるんだろう?
なんて思ったり。
匿名で募集してるのが馬鹿なんだ
と書いている人が、
自分の本名ではないTwitterで、
困っている息子さんや
とにかく一生懸命もがいている自分を
匿名かつ責任のない言葉で、
次々に攻撃してくる、この矛盾は何なんだろう。
けれどそれでも思う。
人は、本当は優しい。
だから興味を持ってくれる。
興味を持つからこそ、
考えが違っても声を上げてくれる。
そして、その声が結果的に
支援の輪を広げてくれた。
誰かのために動いてない素の自分だったら、
馬鹿が何を騒いでるんだ。
俺とは考えが違うんだから仕方ない。
理解されない人だって一定数いる。
そんなふうにごまかしていたかもしれないが、
今回は困っている人が
自分よりはるかに
立場の弱い学生さんであることや、
周りに支援する人がいない状況であることが
違うことである。
だからこそ
1つずつわけのわからないことを
言う人に対しても
誠実に向き合ってきたつもりだ。
もちろん答えくれない人だって山ほどいる。
しかしだからこそ、
自分にとって大きな学びになった。
全部が見えないと人は不安になり、
それを見ようとして興味を持つ。
そこに炎上と言う言葉がくっついてしまっても、それは戦略だと途中から思っていた。
なんで?誰が?どうやって?
なんていうの興味を持った
悪意のある人たちでも、
それを否定的につぶやいたりすることで
多くのことを拡散してくれるんじゃないか?
と言うのは自分の作戦になっていたんだと思う。
もはや自分がサイコパスかよ。
と思った瞬間であるw
蛇足ですけど、
文句を言ってくる人より
もっとたち悪いのって何かわかります?
無関心です。
無関心こそが1番怖い。
そういう意味で
否定的な言葉を投げかけてくる人たちって
ありがたいと思う。
心の中に優しさがあるんだと思う。
◆ 自分でも自分は理解できないのよ。
見ず知らずの人のために、
どうしてここまでやるのか。
自分でも正直わからない。
自分でもわからないんだから、
他の人にわかるわけないだろう。
理解をしてもらおうとすら思っていない。
息子さんにも
「なんでこんな風にしてくれるんですか」
と聞かれたけど、
「そんなの俺だってわかんねーよ」
と答えた。
それが批判の対象となったり、
無尽蔵の善意は、
他人にとって不安とか恐怖の対象に
なるのかもしれないと思った。
でも、山で困っている人がいて、
そこには家族がいて泣いているかもしれない。
将来は自分がそんな立場になって、
2人の娘たちが泣くかもしれない。
そんなふうに考えたら
それを放っておけなかった。
昔のひとりの自分なら、
そこまでやらなかったかもしれない。
でも今は違う。
誰かを助けることで、
自分の存在を確かめているのかもしれない。
それが「馬鹿だ」と言われたって、
動く人が他にまだいないなら、
一歩目を出すことがすごく重要だ。
◆ まだ、山では人が見つかっていない
今もなお、山で見つかっていない人がいる。
この事実だけは確かである。
なんとなくこの辺に来たんじゃないか?
と言うのではなく、確かにあの日、あの時、
その場所にいた人が今もいないんだ。
だから、これは終わっていない。
これはひとつの出来事にすぎない。
日本中の山や地域には、
まだ声にならない声がたくさんある。
これは、氷山の一角だ。たぶん。
自分が動くことで誰かが救われるなら、
それでいいかなーと、最近思う。
そんなことやったって無駄だとか、
まずは世の中全体の仕組みを直さなきゃダメだ、
なんちゃら協会は?
トレラン連盟は?
山岳何ちゃら支援機構はないのか?
などと声高に叫ぶ人がたくさんいる。
そんなのみんなわかっているさ。
自分は阿呆だけどそんなことわかってる。
そういう仕組みがあって、
誰かが困った瞬間に手を差し伸べられる。
そんなことがあれば本当は1番いい。
そういうシステムがあったって、
一歩目が出るのがすごく時間がかかる。
それが世界だ、
「自分以外」という自分を守る鎧。
鎧=無関心だ。
だから個人で動くことが一番早いし、
地球上で起こっている、
ほんのささいなことは、
生きていく上では
変わらないかもしれないけど。
自分が届けた声が、
誰かの勇気につながるなら、意味がある。
たとえ
僕がやってあげればよかったとか、
こういう詐欺みたいな
金集めする奴がいるから気を付けろとか、
おっぱいの大きい大学生だとか、
そんなことを言った人が
山の中で困っていたら、
その人の家族が泣いていたら、
同じようにきっと
自分は泥んこになって助けに行くんだと思う。
そんなことをなんとなく思いながら、
生きている1週間です。
やべえなぁ。
また俺成長しちゃってるぜ!
なんてプラスに考えながら
限りある時間を大切に生きるしかないよなぁ。
なんか頭の中のことをぐちゃぐちゃ書いて、
情報が整理できていないかもしれないけど、
このブログを読んでくれる人は
自分にとってとても親しい人たちです。
だから情報も公開しているし、
信頼もしているし、
心からありがとうを伝えたいと思っています。

一応、火中のnote記事も貼っておきます。
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