ずっと下を向いて歩いてました、まっさんです。ごめんなさい、ごめんなさいと交互に足を出し続けて来た230km。
今日は最後の最後で前を向けた。
ずっと何もできなかった様な気持ちを飲み込んで蓋をしてきた10年間。
そんな気持ちを正直に話せて、人前で弱さを見せられる、
それこそがあの時自分になかったもの。
それは本当の強さであり優しさ。
今日も海沿いを。
本日の移動距離
本日の移動距離は38km
めっちゃ下からまくって撮ってくれたら10等身くらいになってますけどw
今日も寒かったみたい。とにかく風が強かった。海沿いだからね。
1日目:39km
2日目:51km
3日目:35km
4日目:60km
5日合計:233km
NOT MCT
ん??何かって?
いや、実はみちのく潮風トレイルの正規のコースは女川からは峠越えの連発なんですね。
ところがこの異常寒波のせいでトレイルの雪がとんでもないことなってまして、まともに進める状態ではない。
そう判断して、女川から志津川までの山越え50kmは回避。夏にくれば1日で超えられるけどこの状況だとどこまで進めるかわからない。
楽しみは先延ばしにしよう。
ということで電車で志津川まで。
海沿いのルートを北上することに。
志津川の今
この写真、実はモアイがいる。
海から空見て寝るモアイ。
それだけの理由でイースター島から巨大モアイもらった町、それが志津川。
遺構の高野会館。
まだまだ、堤防が出来てない。
震災から10年と言ったってこれが現実。
この先の大谷海岸だって同じ様なものだった。
もう10年も続く堤防工事。
まあこれから10年だとか特集であの頃は、的な番組やると思うけど、実際は復興が進んでないところもたくさんある。
東日本大震災遺構・伝承館
ちょっと寄ってみたい施設があった。
kesennuma-memorial.jp
「わすれないこと」が大事だから。
ここは震災遺構として気仙沼向洋高校旧校舎を保存したもので。
まずはビデオシアターで貴重な映像資料を。
津波の襲来やその後の気仙の大火、それを鎮火するための全国からの支援部隊。
なんと、そこに自分が一瞬だけど写っていた。
理由を話して映像を確認させてもらった。
間違いなく10年前の自分だった。
何も出来なかったと、無力だったと、
感情を飲み込んで蓋をして来た10年間。
あの時、涙でも流してしまえていたら、今こんな格好でこの地を歩いていないだろうな。
この日は月命日(11日)ということで、地元の高校生たちが自分の祖父母や両親から聞いた話などを遺構を巡りながら「語り部」をしてくれた。
多くの生徒たちや、校長先生、伝承館の館長さんの前でお話をさせてもらう機会も頂けた。
(そのでかい荷物で福島から歩いて来たのかとみんなはじめはドン引きしていたけどw)
前に進む強さ、子どもたちの大切さ
話した内容は、あの震災直後で君達のお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんは大変な思いをしたこと。
それを乗り越えて10年という月日を過ごし、皆さんを大きくしてくれたのはすごく大切なこと。お父さんやお母さんに感謝して欲しいこと。
ただ、あの震災で下を向いていた大人たちが、がんばれたのは10年前の君たちがいたからだよ、ってこと。
その、いつでも無垢な笑顔や仕草。その笑い声で多くの大人たちが前を向けたこと。
あの時、避難所には学校に行けない子どもたちが書いてくれた絵や言葉がたくさん掲示してあって。
その言葉はかんたんだけど、
とてもストレートに心に入って来た。
あわてなくても大丈夫なんだよ、とか。
なににでもかんしゃすること、とか。
ありがとう、の言葉が大事なこととか。
みんなにあえたことが、うれしいとか。
生きてることが「有難い」とか。
大人たちがつらくて忙しくて、
忘れがちだった、わらうってこと。
今日が来ることがしあわせ、だと。
かぞくで、ただいまやおかえり、それができることが、そのあたりまえが、いちばん大事。
あのとき、小さかった君たちだって
きっと、すごくえらかったんだぞ。って。
そんなことを伝えることが出来た、
泣いてる子もいたけど、
そういう涙を見せられるのは
決して悪いことじゃないよ。と。
心が震える時の音は、
涙と笑顔がこぼれる音と同じ音。
自分に向かって話しかけている様な、
不思議な感覚。
強さと優しさって何なのか、少しわかった。
そんな5日目の旅。
忘れてはいけないもの。
それを私は、ずっと忘れない。
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