- 「TJARに出てみたい」と思うものは星の数ほどいる。その中で行動を起こすのはほんのひと握り、更にさまざまな課題をやりきり書類選考まで来れるのがその中のひと握り、そこから抽選、予選会、また抽選、そして本戦に立てるのが30人、完走するのがその半分。ここまで難易度が高くて運も味方につけなくてはいけないレースがあるのか。(TJAR2022 挑戦は連鎖する)より一部抜粋
まずは結論
結果から言いますと、1日目のゴールの設定時間に1分足りず、タイムオーバーでした。
1日目の行程は約58km3800mD±、ここをGPSなし、地図を読みながら、与えられた課題をこなしながら、12時間で走らなければならない。
その走力が単純に足りなかった。
1分を削り出せなかったのか
1分ならどうにかならなかったのかと思います。
ロードで信号に引っかかりそうならダッシュすれば良かったのか。歩いてしまった坂をもう50m走れなかったのか。地図読み課題を少しでも早く切り上げられなかったか。荷物をもう少し軽くできなかったのか。水分の補給の時休みすぎたのでは。チェックポイントを早く出れば良かった。辛くて進めなかった時に前を向けなかったか。課題の撤収を短縮できなかったか。
最後の最後に
最後の最後。本当に最後の分かれ道で地図を確認しなかった。間に合うとは思っていたものの焦りから最後の最後で小屋に曲がる道を曲がれず、直進してしまいました。
気づいた時には500mほど林道をおかしいなと思いながら行きすぎていました、急いで戻ったけれど設定時間をオーバーしました。途中の課題での停滞時間があったため多少の救済処置はありましたがそれを足しても1分足りないとのことで、実行委員会の飯島さんと田中正人さんからタイムオーバーを告げられました。
途中の地図読みや危険回避課題、ツェルト立て自分なりに完璧にこなせていただけになんとも言えない気持ちです。
言い訳と夢の中の出来事
去年は2度の骨折があり走力を大きく落としました、ランの習慣自体がなくなり、いまだにそれが戻らない感じです。さらに今年は背中に大きな腫瘍ができてしまい(たまたま良性でした✌️)4月に手術、5月の頭まで入院もしました、たった数日ですがここでも大きく体力を落とした気がします。
そんな中、この選考会に参加できたのも夢のような話でした。なんとか書類選考の課題をやり切りました、台風の中の裏銀座縦走は信じられないほどキツかったことを思い出します。
書類選考で写真や書き方を失敗したか?という懸念はありましたがなんとか書類選考を突破、抽選でも3人に1人が落ちるくじ引きで70人中65番目で名前が呼ばれました。
離れなかった不安な気持ち
名前が呼ばれたその時から不安で仕方ありませんでした。
「自分にできるのか?」
その日から気持ちを切り替え、アルプスや富士山や奥多摩で練習を積みましたが所詮付け焼き刃、走力のない身体にはただの負担だったかもしれません。
雨の中富士山での高地順応の練習。
このために何年もやってきている人たちを知っているから、なおさらそんな気持ちが沸きました。
いつもはレース前などなんでもない気持ちですが今回は不安で押しつぶされそうな中で選考会を迎えました。
本当は不安で選考会会場にも来たくなかったです。
車で前日入りするも、全く眠れず、不安からなぜかAmazonのお気に入りリストを片っ端から買うという情緒不安定な感じでしたw
選考会がスタート
選考会が始まり、重い荷物を持って走りながらすぐにもう辞めたくて仕方ありませんでした。夢にまでみた舞台の入り口で、なぜそんな気持ちが湧くのかも分かりませんでした。
ロードもかなり後ろからになってしまいましたが、丹波100mileで3位に入ったチームメイトのBrianと「このあと山で全員抜いてやろう」などと話したり何度か会ったことがあるチャラ久保さんと話しながら序盤はかなりゆっくり入り、少しずつ気持ちを作っていきました。
彩の国で撃沈するチャラ久保さん、今回は彩の国から6kg絞ったとのこと!
序盤は30℃近くまで気温が上がりかなり消耗しました。
気持ちと身体のアンバランス
なんだか山を登っている最中も身体と気持ちのバランスが全く取れていない感じ、好きで山を歩いているのとは大きく違う、そんななにかがかみ合わない気持ちでした。なぜここを歩いているのか、フワフワした気持ち、どうしてもそれを修正出来ませんでした。
あきらめたくない思いは突然に
そして不得意な高地順応にやはり今日も失敗し、2500mから3000mの仙丈ヶ岳までは吐きながら進むきつい展開、予定では4時間半で行かなければならないところを6時間半かかってしまい、スタッフさんにも「もう時間的に厳しいけどまだ続けますか」と聞かれました。
「最後まであきらめません」と回答するもなんとか仙丈ヶ岳に着いた時はもう水が一滴もありませんでした。
ここから指定場所までは約5時間のコースタイム。そこを水なしで身体がバラバラになりそうな勢いで2時間半で走り切りました。喉が焼けるように熱く、口を閉じると喉の奥がくっついてしまうほど、のどが乾いていました。サウナでカラカラになったそのままフルマラソンを走るようなイメージです。
でも、この時ばかりはやるしかないと力が湧いてきました。選考会に抽選で落ちてしまった過去の完走者の方々がスタッフとして参加していました。まさかの抽選で外れた男澤さんや実行委員として粉骨砕身の原さんたちのスイーパーさんと共に前後したことも力になりました。「こんなすごい人たちでも出られなかった選考会に出たんだ、最後まであきらめないぞ。」と。
涙とゲロと血尿と
涙とゲロと意思とは関係なくズボンの中から出てくるドロドロとした血尿を交互に出しながら前を走る5人にも追いつき、最終課題のところに選考会スタッフとして参加しているSS氏がいるのを見た時は安堵感で泣きそうでした。SS氏をみて泣きそうになったことは一度もないしきっとこれが最後でしょう。
ただ、課題をこなすのに列ができていて時間が足りないと分かり更に泣きそうでした。
50kmも走ってきて4000mも登り、時間が数分足りなそうなんです。
それでもあきらめず、最後まで課題をやった後も走り、本当に最後の分岐で間違えて進んでしまいました。
翌日撮影
この水を見てしまった。噴き出る水を。ここまで3時間水なしで喉の奥がくっついてしまいそうなほど苦しかった自分はフラフラとここに寄ってしまい2Lくらい狂ったように水を飲みました。
この普通なら見落とさない左のオレンジ色のマークがある道を見落としました。(右の白の看板が噴き出る水。)
小屋の看板。
500mは行きすぎた林道を登り返しながら「クッソー!!」と叫びました。
ここで自分のTJAR2024が終わりました。
走力が足りなかったということは間違いない、1分という時間の重みもわかる。ただ明日の選考会2日目は走らせてもらえませんかと図々しくも頼みましたがもちろん首が縦に振られることはありませんでした。
当たり前です、翌日は風速30mの暴風雨、そんなコースロストしたり走力の足りない、リスクのある選手を走らせるわけはありません。
ひどい身体の代償
3時間も水なしで走ったことが影響したのか夜から朝までドロドロした血尿が自分の意思とは関係なく出続けてきてしまうという厳しい感じでした。ジップロックにちんこを入れて寝ました(もちろん大きなジップロック、ふふふ。)
風速20-30m/s、雨は夜中じゅう10-20mm、当然水没です。裏銀座縦走の時も台風の中の縦走だったので似たようなものでした、問題なし。
翌日は信じられないような土砂降りかつ風速20-30m/sの中で、本戦を目指す選手やそれを支えるスタッフが走り出しました。SS氏は「スイーパーさんのSさんのスイーパーで走るわー」とか言いながらスタートの10分前にカレーメシにお湯を入れてました。(食べ始めたとか食べきったとかではなく、「お湯を入れた。」)彼のドタバタぶりは大好きですが、最近はギリギリすぎても動じなくて見ているこっちがハラハラします。
大会FBより
下山後、食う。
下山は前日になんらかで失格になった人たちと、地図を落としてしまった人や、ゴール後低体温になった方とバスで下山。レースを続ける人たちがバスから見えました。
ゴール地点についてからも、やりきった表情でゴール人たちを見ていられなくなり、タクシーで車まで移動、14,000円www
温泉に入って、飯食って帰りました。体重が6.5kgも減ってました、ラッキーです。
カツカレー大盛りと山菜そば。これから少し痩せようと決意しつつたくさん食べました。
ネコがトラになるには
今はまだ何も考えられないですけど、まだ自分はネコみたいなもんでした。あのメンツの中で切磋琢磨するには実力が足りなすぎます。
なんか上手く行って、まぐれで本戦に出ても完走なんか絶対にできないと思いました。
ネコからトラになれるようにここからまた積んでいきます、まだあきらめたくない。あきらめない。いつかあの舞台へ。
家に帰ると、不安で不安で選考会の待ち時間に血迷ってなぜか頼んでしまった6万円のヒラメ竿が届いていました。(6万円を玄関に置いて行くとは、、、Amazonの置き配恐るべしw)
この夏はヒラメでも釣ったり、鮎を釣ったり、好きな時に山に行ったり、TJARの応援に行ったりしようと思います。
ヒラメ釣りの天才、ヒラメ王まっさん。
鮎1日150匹、鮎釣り王まっさん。
コメント
貴重な体験でしたね。命を落とす寸前まで体験して、無事に復帰できて良かったですね。山より海のほうがフィットしている感じです。海はで一流ですね❣
命を落とす、、、まではまだ相当余裕はあったと思いますが、見守られている環境であることからギリギリまでチャレンジしたのは確かです、あらためて山はチャレンジするところではなく、余裕を持って楽しむものだと反省はしています。