自分は政治信条といったものはないし選挙や政権にそれほど興味があるわけでもない、もちろん安倍氏に会ったこともない、話したこともないまるっきり関係のない人間だ。
そんな私がこんな題名でブログを書こうと思ったのは彼にいちど手紙をもらったことがあるからだ。
7月8日、自分が仕事帰りに36度の中ランニングをしていた。そんな時に元内閣総理大臣の安倍晋三氏が自製の銃というまさかの武器で撃たれた。日本で銃で撃たれて死ぬ人間は1年間で10人未満と言うことだから相当運がわるいとしか言いようがない。
たびたび放送された内容で撃たれた後にバイスタンダーが心臓マッサージをする様子、AEDが作動しなかったと言う様子、またヘリ映像で病院屋上でLucas(自動心マッサージ器)が作動する映像、どれをみても状況はかなり厳しいとしか思えなかった。
それよりも人が死ぬかもしれない状況下で多くの人(テレビ局のヘリとかも含めて)がその状況を記録しようとするのはどういう心境なのか、一度聞いてみたい。
(仕事中にそのような状況に何度も出くわす。)
まぁ、こうして映像を見たりしている時点で同罪という気もするけど。
この死によって多くメディアが生前の安倍晋三氏を取り上げることになり、その中で一つの映像を見た。
これを見たからブログを書いている。
3ヶ月前の近大の卒業式のスピーチ映像だ。
自分は東日本大震災の時は数日後から被災地に入っていたから、いまだにあの惨状を思い出さずにはいられない。
そんな場所に安倍晋三氏も来ていたという。
内閣に失敗し、1年という短い総理大臣期間を終え、政治家として終わったと評されていた安倍晋三氏がなぜもう一度、内閣総理大臣となり、戦後最長のリーダーシップを取り続けることができたか。
諦めなかったから。
失敗を糧としたから。
自分より優秀な仲間がいたから。
そんなことを彼はスピーチで話しているんだけど、きっとそうではないんだよな。
合計10年も日本のトップでさまざまな会見や行動を見てきたから彼の話し方や立ち居振る舞いなんかは脳裏に刻まれている。
拙い話し方。
滑舌の悪い発音。
決して良くはない見た目。
どこか馬鹿にされたり、
ツッコミどころも多い。
アベノマスクだって変だったし、
なんかのミュージシャンに批難されるコラボ動画には笑わせてもらった。
モノマネで批判されたりもしていたり。
奥さんが目が当てられないような行動をしたり。
しまいにゃ、銃殺されるほど運が悪い。
つまり、安倍晋三単体はその辺のおっさんの平均点かかなり下か、そんなもんだろう。
そんな彼が長くリーダーシップを発揮したのはその人柄だろうな。
どんな地位を築いても
私は優秀な人間ではない、と言える。
仲間がいたからだ、言える、
私のような平凡な人間が、と遜(へりくだ)れる。
そのどれもがリーダーに必要がないもののように見えて、一番必要だと、それは理解している。
自分も彼とは率いている集団の規模が全く違うし、守るべきものもまた違う。
そんな中でリーダーシップを取り続けるために必要なのは、高い能力でもなく、多くの知識でもない。
謙虚であり続けることであり、
自分1人でできないと知ることであり、
自分以外の力が必要だと誰にでも言えること。
間違えたら教えてもらえる人間性があること。
親しみ深い人間であること。
感じのいい人間であること。
話しかけてもらえるような人間であること。
誰にでもへりくだれること。
彼にもらった手紙というのは、ある災害で自己犠牲を顧みずに立ち向かった人間達に宛てた文書なわけだけども。
戦後最大のあの噴火災害ももう風化し、覚えている人も減っただろう。
今年は久しぶりに山開きをするようだ。
何が書いてあったかなんて覚えちゃいないし、こんな紙っきれ、どんな思いもしたか知らないで気楽なもんだ、とくるくる丸めてゴミ箱に捨てちまった。
まぁ、それを今読みたいとも思わないけど。
彼がスピーチの中で
「やれそうと思ったら、もうほとんど乗り越えたようなもの」と、
あるミュージシャンの言葉を引用している。
それはすごく大切なことだ。
イメージを出来ることは実現できる。
「やれそう」がないと「できない」のが
今自分が取り組んでいる仕事かなぁ、と。
いつもそう思っている。
「出来る、ってイメージが頭の中にあるものだけがこの先は進め。できない人間はここで待て。」
そんなことはよく口にしているけど、自分はもっと謙虚に、もっと仲間を信頼しなくてはならないのかもしれない。
このスピーチを聴いて改めて思った。
何故、読んでもない手紙をもらったからって死を悼んで思ったことをブログに書きたくなったかはよくわからん。
ただ、今まで金玉のすくむような経験は何回もしてきたけど、一国の主に手紙をもらったなんて後にも先にもその1回だったからな。
震災10年の復興コンサートに向けて60年ぶりにピアノを練習したという安倍晋三氏。
「この『花は咲く』という曲は家族を失い悲しみに暮れる人たちを励まそうと歌い継がれてきた曲です。」
東日本大震災の時も御嶽山の噴火の時も自らが行動することもできない立場や状況で、毎日報道される惨状に胸を傷めていたんだろうな。
今は自分の胸が傷むよ。
心よりご冥福をお祈りします。
コメント
まっさんの記事を読んで、コメントを残したいって思ったのだけど、今の気持ちを上手く表現できなくて。私も政治に強い感心があるわけではないけれど安倍元首相の死は無念でした。それはきっと安倍首相が政治家を越えて多くのことを国民に伝えてきたその「人間性」があったからなのかと、まっさんの記事を読んで気付きました。まっさんはいいリーダーになると思います😊
ねぇさん、ありがとう、コメントを頂けたことが救われた気持ちになります。
自分はたいしたリーダーではないけれど、沢山の後輩や仲間たちが助けてくれます。いつもそう思っているから安倍晋三氏のどこかに共感するのかもしれません。
人が1人いなくなるのは悲しいことです、それが10年近く意識しなくてもテレビ等で目にしていたどこかのおじさんだからこそ、やっぱり余計に悲しい。
ねぇさんも医療職だからいろいろ視点が違うところもあるかもしれませんね、コメント、ありがとうございました。